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白洲次郎 ――エンディングノートから遺言書へ

有名人の遺言書シリーズ — 遺す人、遺さない人、税理士が読み解く10の物語
遺言書は「いつか」ではなく「いま」考えるもの。
“その時”が来てからでは、もう本人の意志を確かめることはできません。
けれど、いざ書こうとすると、制度や形式の壁が高く感じられるものです。
そんなときは、有名人たちの遺言をのぞいてみましょう。
そこには、家族への想い、人生のけじめ、そして制度を通して想いを託す知恵が見えてきます。
「葬式無用 戒名不用」――
白洲次郎が残したこの言葉は、「たった二行の遺言書」として広く知られています。
戦後の混乱期、吉田茂の側近として活躍した実業家が、最期に選んだのは、 形式を排し、本質だけを残すという潔い姿勢でした。
しかし、これは本当に「遺言書」だったのでしょうか?
法律の視点から見ると、この問いには別の答えが見えてきます。
遺志と遺言書――似ているようで、まったく異なる二つのもの。
その違いを理解することが、想いを確実に残す第一歩になります。
🗂 プロフィールメモ:白洲次郎(しらす・じろう)
1902年兵庫県生まれ。ケンブリッジ大学留学後、実業家として活躍。
戦後、終戦連絡中央事務局参与として連合国軍総司令部(GHQ)との交渉に当たり、 吉田茂の側近として日本国憲法制定や通商産業省設立に関わる。
「プリンシプル(原則)に忠実」を貫いた生涯で知られる。
1985年、83歳で死去。遺言は「葬式無用 戒名不用」。
本稿は、公開された報道内容を素材として、「仮に報じられている状況が成り立つとしたら、法律上どのような仕組みが動くのか」を解説するものです。個別事情やご家族の意図を推測・断定する目的ではありません。
白洲次郎と「葬式無用 戒名不用」
白洲次郎が残した「葬式無用 戒名不用」という言葉は、 「たった二行の遺言書」として、多くの書籍や記事で紹介されています。
形式を排し、本質だけを残す。
その潔さに惹かれる人は、今も少なくありません。
しかし、これは本当に法律上の「遺言書」だったのでしょうか?
公表されている情報を整理すると、いくつかの疑問が浮かび上がります。
これは法的な「遺言書」だったのか?
法律の視点から、白洲次郎の「遺言」を検証してみます。
検証ポイント①:葬式・戒名は法定遺言事項ではない
民法では、遺言で定められる事項が限定されています(民法第960条以降)。
主な法定遺言事項は:
- 財産の処分(相続させる、遺贈する)(民法902条、964条)
- 遺言執行者の指定(民法1006条)
- 祭祀承継者の指定(民法897条)
- 遺産分割方法の指定(民法908条)
葬式や戒名についての希望は、この中に含まれていません。
つまり、遺言書に書いても法的な拘束力はないのです。
遺言書に葬式や戒名の希望を書くことはできますが、それは「付言事項」として扱われ、 法定相続人や遺族には、それに従う法的義務はありません。
検証ポイント②:「たった二行」という表現
「葬式無用 戒名不用」は確かに二行です。
しかし、もし財産の処分や遺言執行者の指定など、法定遺言事項が書かれていたなら、 「たった二行」という表現にはならないはずです。
この表現は、財産処分の記載がなかった可能性を示唆しています。
検証ポイント③:公表情報の限界
公表されている資料からは、以下のことが確認できません:
- 民法上の方式(全文自書、日付、署名、押印)を備えていたか
- 財産の処分について何か書かれていたか
- 別途、財産処分について定めた遺言書(自筆証書または公正証書)があったか
結論
これらを総合すると、
白洲次郎が残した「葬式無用 戒名不用」は、法的な意味での「遺言書」ではなく、 「遺志」または「エンディングノート的メッセージ」だった可能性が高い
と考えられます。

でも、「遺言書」って書いてあれば、遺言書なんじゃないですか?」



実は、本人が「遺言書」と書いても、民法の定める方式を満たしていなければ、法的な効力はありません。
また、葬式や戒名についての希望は、そもそも法定遺言事項ではないため、遺言書に書いても法的拘束力はないんですよ。
遺志(エンディングノート)の限界
エンディングノートとは
エンディングノートとは、自分の想いや希望を自由に書き残すものです。
- 法的な形式は不要
- 何を書いてもよい
- 家族へのメッセージ、葬式の希望、財産の情報など
しかし、法的な拘束力はありません。
書かれた内容を実現するかどうかは、遺族の判断に委ねられます。
白洲次郎のケース
白洲次郎は、「葬式無用 戒名不用」という遺志を残しました。
しかし、妻の正子には、それを実現する法的義務はありませんでした。
実現されるかどうかは、正子の理解と判断次第だったのです。
白洲正子はどう実現したか
正子の選択
白洲正子は、夫の遺志を実現しました。
白洲正子が著した『遊鬼』によれば:
遺言により、葬式は行わず、遺族だけが集まって酒盛りをした。
また、墓碑には戒名を刻まず、正子の発案により、不動明王の種字「カーン」だけが刻まれました。
なぜ実現できたのか
正子が次郎の遺志を実現できたのは、以下の理由があったと考えられます:
- 次郎の価値観「プリンシプル(原則)に忠実」を深く理解していた
- 夫婦で「形式より本質」という生き方を共有していた
- 世間体や慣習よりも、次郎の遺志を優先する判断力があった
しかし
これは、正子の理解と判断があったからこそ可能だったのです。
法的義務があったわけではありません。
誰もが白洲正子のような理解者に恵まれるとは限りません。
現代なら:3つの手段の使い分け
もし白洲次郎が現代に生きていたら、どのような選択ができたでしょうか。
現代では、想いを実現するための手段が3つあります。
3つの手段を整理すると、次のように役割が異なります:
- エンディングノート:気持ち・希望を伝える(でも強制力はない)
- 遺言書:財産の行き先を法的に決める
- 死後事務委任契約:葬儀や解約など”実務を動かす”段取りを作る(※契約設計が肝)
それぞれの特徴を詳しく見ていきましょう。
エンディングノート
目的: 想いを整理し、伝える
特徴:
- 自由に書ける
- 法的な形式は不要
- でも、法的拘束力はない
向いているもの:
- 家族へのメッセージ
- 人生の振り返り
- 葬式の希望(ただし実現は遺族次第)
遺言書
目的: 財産の処分を法的に決める
特徴:
- 民法で定められた方式が必要
- 法的拘束力がある
- 葬式・戒名も書けるが、それは付言事項(法的効力なし)
向いているもの:
- 財産の承継
- 相続人以外への遺贈
- 遺言執行者の指定
死後事務委任契約
目的: 葬式・散骨などを法的に実現する
特徴:
死後事務委任契約は、葬儀・納骨(散骨)・各種解約・遺品整理など「死後の実務」を任せるための契約です。
死後事務委任契約は、葬儀・納骨(散骨)・各種解約・遺品整理など「死後の実務」を任せるための契約です。
委任契約は、原則として委任者の死亡により終了します(民法653条1号)。
しかし、判例は「委任者の死亡によっても契約を終了させない旨の合意」を有効と認めており(最判平成4年9月22日金法1358号55頁)、死後事務委任契約はこの特約を前提として成り立っています。
向いているもの:
- 葬式の方法を確実に実現
- 散骨、樹木葬などの希望
- 死後の実務的な手続き
参照:
死後事務委任契約について詳しくは、 飯島愛さんについての記事「飯島愛──家族のような他人、他人のような家族」 もご参照ください。
3つの手段の比較表
| 項目 | エンディングノート | 遺言書 | 死後事務委任契約 |
|---|---|---|---|
| 法的拘束力 | なし | あり | あり(契約) |
| 形式 | 自由 | 民法の定めあり | 契約書 |
| 葬式・戒名の希望 | 書ける(希望として) | 書ける(付言事項) | 実現できる(契約事項) |
| 財産処分 | 書けない(無効) | 書ける(本来の目的) | 扱えない |
| 実現の確実性 | 低い(遺族次第) | 高い(遺留分除く) | 高い(契約義務) |
| 向いているもの | 想いの整理 | 財産の承継 | 葬送の実現 |



じゃあ、葬式のことは遺言書に書いても意味がないんですか?



法的な拘束力はありませんが、付言事項として希望を書くことはできます。
ただし、確実に実現したい場合は、死後事務委任契約を結んでおく方が安心ですね。
税理士の視点:遺志と遺言書、税務上の違い
ここまで、法的な効力の違いについて見てきました。
実務上はもう一つ、重要な違いがあります。
それは、税務上の扱いです。
遺言書で直接遺贈すれば、受取人に相続税がかかります(相続税法2条1項)。
相続人以外への遺贈なら2割加算もあります(相続税法18条)。
一方、エンディングノートに書いただけでは法的効力がないため、
いったん相続人が相続し、その後に贈与する形になります。
この場合、贈与税が発生する可能性があり、 相続税と贈与税の両方が発生し、税負担が重くなることがあります。



遺言書がないと、税金が余計にかかるんですか?



法定相続人以外の人が財産を受け取る場合は、そうですね。
遺言書で直接遺贈すれば、相続税だけで済みます。
エンディングノートだけでは、いったん相続人が相続してから贈与する形になり、贈与税が発生する可能性があるんです。
白洲次郎が財産処分について正式な遺言書を残していたかどうかは、公表情報からは確認できません。
もし遺言書がなかった場合、財産は法定相続人(正子と子息)が法定相続分に従って相続したと考えられます。
「葬式無用 戒名不用」という遺志は実現されましたが、 もし次郎が「特定の友人や団体に財産を渡したい」という希望を持っていたとしても、 エンディングノートだけでは、税務上も実務上も、スムーズには実現できなかったでしょう。
【コラム】武相荘に残る「遺言」
「葬式無用 戒名不用」と記された遺言は、現在、東京都町田市の武相荘(ぶあいそう)で見ることができます。
武相荘は、白洲次郎・正子夫妻が暮らした旧邸宅を記念館として一般公開したものです。
展示されているのは実物ですが、その内容の詳細――「葬式無用 戒名不用」以外に何が書かれていたか(あるいは書かれていなかったか)、民法上の方式を備えた遺言書だったかどうか――は公表されていません。
白洲夫妻が使った家具や道具、次郎が自ら作った木工品なども展示されており、二人の生活と価値観を感じることができる空間です。
まとめ
白洲次郎が残した「葬式無用 戒名不用」は、 おそらく法的な意味での「遺言書」ではなく、「遺志」だった可能性が高い。
それでも実現されたのは、正子の深い理解と確かな判断があったから。
しかし、誰もが正子のような理解者に恵まれるとは限りません。
現代では、想いを確実に実現する手段があります。
- エンディングノートで想いを整理し
- 遺言書で財産の行き先を決め
- 死後事務委任契約で葬送を確実にする
白洲次郎は「遺志」に頼りました。
けれど、私たちには「制度」があります。
想いを制度で守る――それが、残される人への思いやりでもあるのです。
白洲次郎のように、葬式や戒名について明確な希望をお持ちの方、 あるいは、財産の承継と葬送の両方を整理しておきたい方へ。
エンディングノートは想いを整理する第一歩ですが、 確実に実現するには、遺言書や死後事務委任契約など、法的な手段も必要になります。
弊所では、公正証書遺言の作成サポートに加え、 死後事務委任契約については提携する専門家と連携しながら、 想いと制度の両方を整えるお手伝いをしています。
どうぞご相談ください。
静かな対話の中で、あなたらしい意思を形にしていくお手伝いをいたします。
🔎 注意:出典について
本記事は、公開資料・報道・研究文献など一次確認が可能な範囲に基づき作成しています。
家族関係については、百科事典的資料の記述に依拠しています。(ウィキペディア+一般公開情報)
遺言の内容・形式・民法上の方式を備えていたかどうかは、一次資料で確認できていません。
財産処分について書かれた遺言書の有無についても、公表情報からは不明です。
税務に関する説明は一般論であり、白洲次郎氏の相続に実際に適用されたかは公表情報からは不明です。
参考法令・資料
- 民法(明治29年法律第89号)
- 遺言:第960条以降、第902条、第964条、第1006条、第897条、第908条
- 委任:第643条(委任の定義)、第653条(委任の終了事由)
- 相続税法(昭和25年法律第73号)第2条、第18条、第21条の2
- 国税庁タックスアンサー No.4205「贈与税がかかる場合」(2025年4月1日更新)
- 白洲正子『游鬼』(新潮社)
