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誰しも0回目の遺言書をすでに書いている-森繁久弥と遺言について

有名人の遺言事情

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森繁久弥と遺言書

先日のブログで白洲次郎の遺言書を取り上げたついでに、他の有名人の遺言書についても調べていたら、遺言書を断筆した有名人として森繁久弥さんのエピソードを書いた次の記事が目に止まりました。

[blogcard url=https://www.moneypost.jp/677539]

2009年に96歳で逝去した俳優の森繁久彌さんは、あえて遺言書を残さなかったそうです。その背景を次男の方がこう語っています。

役者仲間と銀座で飲んでいたとき、その相手が浮かない顔をしているので父が理由を尋ねると、『身辺整理と葬式の段取りをして、遺言書を書いた。でも全部終わったら、あとは死ぬだけになってしまった』と答えたそうなんです。父はそれを聞いて、遺言書を書くのはやめようと心に誓ったそうです

このブログは「遺言書を書こうと思ってもなかなか書けない」ケースを想定して書くことが多いのですが、森繁さんの場合、「遺言書を書かないと心に誓った」そうなのです。

森繁さんと同じようなお考えの方もいらっしゃるかと思います。

実際に相続が発生してからトラブルが生じなければ、結果的に遺言書はなくても問題なかったということになるかもしれません。

でも、ちょっと待って。

前にも説明したように、法的文書としての遺言書は、死を覚悟して書く遺書(いしょ)や一般的な意味での遺言(死に際に遺す言葉)とは違い、必ずしも死が近づいてから書くものではありません。

むしろ、気力体力の充実した元気なうちに書くべきものです。

[blogcard url=https://papillon-support.com/unpleasant-feeling-of-will/]

だから、森繁さんの友人が「遺言書を書いたら、後は死ぬだけ」と語ったのは、遺言書について一面的な理解に過ぎないといえます。

いくら仲間とはいえ、これを真に受けずに、しっかり調べてから決断したほうがよかったのではと思います。

とはいえ、ある程度お年を召した方であれば、そのように感じてしまうのも無理ないのかもしれません。

0回目の遺言書

森繁さんに限らず多くの人が気づいていないこととして、

たとえ遺言書を書かなくても、すでに0回目の遺言書を書いている

という事実があります。

実は私も最近まで気づかなかった(笑)

というか、そういう視点で捉えたことがなかったのですが、今年出版された以下の本を読んで「なるほど」と思いました。

[blogcard url=https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000342608]

遺言書を作成しないまま亡くなった場合、遺産は民法の規定に沿って分けることになります。

弁護士の著者はこれを以下のように説明しています。

民法の法定相続は、いわば「0回目の遺言」です。あなたが遺言を書かないまま亡くなるということは「民法に書かれている法定相続通りに財産を分けてほしい」という遺言があるのと同じことになるのです。

つまり、誰しも初期設定として「0回目の遺言」を書いているのと同じ状態にあるのです。

これから遺言書を書けば、それが「1回目の遺言書」になります。

だから、遺言書を書くかどうかは、「0回目の遺言書」と「1回目の遺言書」のどちらがいいのかの問題なのだと著者は述べています。

「0回目の遺言」は一律の法の定めに従った、いわば大量生産される規格品の遺言書です。

それで構わなければ、いくつであっても遺言書を作る必要はない。

でも、自分の家族の実情が民法が想定する昔ながらの標準的な家族と異なったり、遺産分けに関する自分の希望が民法の規定とそぐわないのであれば、自分仕様にカスタマイズした「1回目の遺言書」が必要になります。

万が一のとき「0回目の遺言書」では家族が困るとか自分が納得できないという人は、年齢や財産に関係なく、早めに「1回目の遺言書」を書いて「0回目の遺言書」を撤回しておくべきといえるでしょう。

結び

有名人の遺言書について書こうと思って書き始めたのに、蓋を開けてみたら、遺言書を書かないと誓った人について書いてしまいました。

森繁さんの遺産には、映画賞のトロフィーや賞品はもちろん、趣味のヨットや無人島、ゴルフ場までもが含まれていました。思い出の品や趣味のものは単なる財産よりも処分が難しいといわれています。一旦次男がすべて相続した後、最終的な受渡先が決まるまでかなりの苦労があったようです。

もし自分がすでに「0回目の遺言書」を書いていることを森繁さんが知っていたら、仲間の言うことを鵜吞みにせず「1回目の遺言書」を書いたかもしれませんね。

MEMO

往年の大スター森繁久弥と聞いても、世代によってはピンとこないかもしれません。

実は私もそうだったのですが、たまに行く中華料理屋さんで森繁さんの色紙を見つけました。新百合ヶ丘の横濱楼という中華料理屋さんです。

[blogcard url=http://yokohamaroh.com/]

逝去までの数十年、この店を贔屓にして通っていたそうです。

弊所のある登戸から新百合ヶ丘までは小田急線快速で1駅目。よかったら、有名人の遺言書に学ぶツアーの番外篇として、訪れてみてください。

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