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無人販売の柿──土地の記憶と小さな経済

税理士の仕事は、数字の中で暮らしているように見える。
けれど実際には、その数字の向こうに、人の暮らしや迷いがある。
この「相続専門税理士のフィールドノート」では、制度の枠のすぐ外で見つけた風景を記していきたい。
自宅から事務所へ向かう途中、多摩区の住宅街を自転車で通り抜ける。
その道沿いに、小さな無人販売所がある。
木箱の上に、みかんほどの柿が六つ入った袋が並んでいた。
値札には「一袋300円」。
お釣りは出ない。箱の中は見えなかったけれど、
誰かがきっと、そこに小銭をそっと落としていくのだと思う。
母に言わせれば、「これは破格の安さ」らしい。
そういえば、このあたりは王禅寺が近い。
日本最古の甘柿といわれる「禅寺丸柿」の発祥地だ。
鎌倉の昔、この土地のどこかで、誰かが
柿の木に甘みを見つけたのかもしれない。
いま私が見ている柿も、その系譜のどこかに連なっている。
AIに聞いたら、どうも渋柿のようだが、
渋抜きされていて、ちゃんと美味しく食べられるはずだという。
実際に食べてみると、派手な甘さではなく、
果肉がきりっとして、控えめながらもしっかりとした甘みがあった。
それから写真を撮ってAIに見せてみたら、
どうやら最初の推定は外れ、甘柿らしいとわかった。
AIの精度も季節と同じで、ゆっくり熟していくのかもしれない。
朝の空気がにわかに肌寒い。
ついこの前まで暑かったのに、季節が急に向きを変えたようだった。
ペダルを踏みながら、袋の中の柿が陽の光を受けて
ゆっくり色づいていく光景を想像した。
二月の初め、空気が少し乾いて、指先が紙でざらつくころになると、
農協の確定申告会場で、この柿の延長線に出会う。
農地をほとんどアパートに変えた地主さんが、封筒を手にやってくる。
中には手書きのメモ。「野菜・果物販売 10万円」。
経済的には大家、名目上は農家。
柿の木が何本か残る、決して広くはない畑を残してある。
多摩区ではこうした風景をよく見る。
アパートやマンションの並ぶ一角に、
柿の木が何本か残った畑がぽっかりとある。
地主さんはそこを潰さず、季節ごとの野菜や果実を軒先に並べている。
理由は一つではない。
相続税の面では、貸家を建てた土地として評価が下がり、制度上は大きな得になる。
一方で、所得税の損益通算は仕組みこそあるものの、実際の効果は小さい。
それでも、おじいちゃんやおばあちゃんの生きがいであり、
近所の人が買ってくれることで、ささやかな副収入にもなる。
土地を全部アスファルトに変えるのは、やっぱりどこか寂しいのだろう。
その小さな畑が、制度の上でも暮らしの上でも、ぎりぎりの折り合いになっている。
朝の英会話でフィリピンの先生たちと話すとき、
ときどきフルーツの話題になる。
“Persimmon”という単語を出すと、皆いっせいに目を輝かせる。
フィリピンでは柿を見たことがないのだという。
私は「日本ではどこにでもある、決して fancy じゃない果物ですよ」と笑うけれど、
画面の向こうでは、本当に珍しいものを見るような顔をしている。
同じ果物でも、場所が変われば意味が変わる。
登戸の住宅街の無人販売と、南の島の驚きが、
オンラインの小さな窓のなかで静かにつながる。
所得税の世界では、農業所得の赤字を不動産所得と通算できる。
相続税の世界では、貸家を建てれば土地の評価が下がる。
生きているあいだの税と、亡くなったあとの税。
そのあいだを、土地と人が静かに行き来している。
昔の村では、渋柿は貨幣の外にあったという。
いま私の見る無人販売の渋柿は、貨幣の内にありながら、
どこかまだ外にいる。
柿の木を少しだけ残すという行為は、
税制的には損益通算、文化的には贈与に近い。
誰かに何かを「残す」こと。
それは土地であり、記憶であり、生き方そのものだ。
数字にすれば10万円。
けれどその10万円には、
家族の記憶と土の匂いと、秋の光が少し入っている。
税法の言葉では測れないものを、私は帳簿の片隅で見る。
それにしても、柿を前にこんなふうに考え込むのは、
我ながらちょっと性分が出すぎている。
