森繁久彌 ── 「あとは死ぬだけ」と、遺言を書かなかった人

有名人の遺言書シリーズ — 遺す人、遺さない人、税理士が読み解く10の物語

遺言書を書くのは、気が重いものです。

いざ書こうとすると、制度や形式の壁も高く感じられます。

そんなときは、おなじみの有名人たちの遺言書をのぞいてみるのもいいかもしれません。

1913年、大阪府生まれ。俳優として映画『社長シリーズ』『駅前シリーズ』、舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』など、数多くの作品に出演しました。1991年には文化勲章を受章。ヨットを愛し、瀬戸内海に無人島の土地を所有するなど、豪快な趣味でも知られます。2009年11月、96歳で亡くなりました。


目次

「あとは死ぬだけ」

森繁久彌さんは、遺言書を書きませんでした。

次男の森繁建さんが、2020年の『女性セブン』の取材で、その理由について話しています。

ある日、森繁さんが銀座で役者仲間と飲んでいたときのこと。

相手が浮かない顔をしているので、何かあったのかと尋ねたそうです。

その役者仲間は、身辺整理を済ませ、葬儀の準備をして、遺言書も書いたといいます。

ところが、全部終わってしまったら、あとは死ぬだけになってしまった、と。

森繁さんは、それを聞いて、遺言書を書くのはやめようと心に決めたそうです。

遺言書を書いたら、あとは死ぬだけ。

ヨットと無人島

森繁さんが亡くなったあと、家族にはさまざまな財産が残されました。

現金や預金だけではありません。

ヨット、無人島、ゴルフ場、キャデラックのリムジン。映画賞のトロフィーもたくさんありました。

なかでも森繁さんが愛したのは、ヨットでした。

1964年の東京オリンピックに合わせて造られた「ふじやま丸」は、全長21.5メートル、重さ54トン。建造費は当時の金額で約1億円だったそうです。

ところが、あまりに大きすぎて、所有していたヨットハーバーに入りきらなかったとか。

港を持っているのに、自分の船が入らない。

なんだか、森繁さんらしい話です。

ヨット好きは、無人島の購入にもつながりました。

森繁さんが所有していたのは、香川県の兜島の一部。約4,000坪の土地でした。

家族でヨットに乗り、東京から7日ほどかけて島へ向かったそうです。

昼は島で遊び、夜は船に泊まる。途中、森繁さんは寄港した港で船を降りて仕事をし、仕事が終わると別の港から船に戻ってきたといいます。

2億円のヨットが3,000万円に

森繁さんが亡くなったあと、こうした財産の整理にあたったのが、次男の建さんでした。

ただ、どれも普通の家にあるようなものではありません。

最後に所有していたモーターヨットは全長約18メートル。購入時の価格は約2億円でした。

建さんによると、売却するときには約3,000万円になっていたそうです。

キャデラックのリムジンも、全長7メートルという大きさ。

道幅の狭いところでは走れず、駐車場にも入らない。維持費もかかります。

困っていたところ、欲しいという友人が現れ、譲ることになりました。

ゴルフ場も別の経営者に引き継がれました。

そして、映画賞のトロフィーや賞品は、森繁さんの母校である早稲田大学へ寄贈したといいます。

無人島については、2019年の取材時点では森繁家が所有していました。

ヨットは売る。車は譲る。トロフィーは寄贈する。島は残す。

森繁さんが生前に手に入れたものを、建さんは一つひとつ整理していきました。

息子が残したもの

森繁さんには、物事をいつまでも引きずらないところがあったようです。

建さんは、父が「終わったことに執着するな」という考えの持ち主だったと話しています。

森繁さんの記念館を造ってはどうかという話もあったそうですが、建さんは実現させませんでした。

世代が変われば、残されたものが負担になるかもしれない。

そんなことも考えたそうです。

大きなヨットも、立派な車も、数々のトロフィーも、ほとんどは手放しました。

けれども、建さんには、残しておいたものがありました。

お父さんの入れ歯とステッキ。

それから、建さんが生まれた年のブランデー「ルイ13世」です。

父の酒蔵に残っていた一本でした。

建さんは、自分がいなくなったら意味がなくなってしまう酒なので、いつかふさわしいときに飲みたいと話しています。

2億円で買ったヨットは売りました。

けれども、父が残した古いブランデーは、まだ開けていない。

いつ飲むのかは、建さん自身が決めることなのでしょう。


ここからは、税理士のワンポイント解説です。財産を誰かに遺すとき、少し考えておきたいことがあります。

遺したいものを、相手が受け取ってくれるとは限りません

財産は、金額が大きければ喜ばれるとは限りません。

立派な船でも、維持費がかかり、使う予定がなければ困ってしまうことがあります。大切なコレクションも、引き継ぐ人には保管場所が必要です。

相続人ではない人や団体に財産を遺す方法として、遺言による「遺贈」があります。

ただし、遺言書に「○○博物館にコレクションを遺贈する」と書いても、先方が必ず受け取ってくれるわけではありません。受遺者は、遺贈を放棄することもできます。

博物館には、受け入れ方針や保管場所の都合もあるでしょう。

だから、財産を誰かに遺したいと思ったときには、相手が本当に受け取れるか、生前に確かめておくことも大切です。

森繁さんのヨットやブランデーの話を読むと、財産の金額と、受け取る人にとっての価値は、必ずしも同じではないのだと感じます。


参考資料

『女性セブン』「昭和の大スター・森繁久彌さんが遺言書を残さなかった真意」(2020年6月30日、マネーポストWEB掲載)
https://www.moneypost.jp/677539

『女性セブン』「森繁久彌さん仰天の遺品と相続の苦労 ヨット、無人島、ゴルフ場…」(2019年8月13日、マネーポストWEB掲載)
https://www.moneypost.jp/571165

『女性セブン』「森繁久彌さんの次男が明かす『異例ずくめの葬儀』に踏み切った事情」(2023年11月8日、マネーポストWEB掲載)
https://www.moneypost.jp/1079810

本稿は、公開された報道内容を素材として、「仮に報じられている状況が成り立つとしたら、法律上どのような仕組みが動くのか」を解説するものです。個別事情やご家族の意図を推測・断定する目的ではありません。あくまで『人はなぜその決断をしたのか』を税務と心理の両面から考察し、皆様の将来に活かしていただくためのケーススタディです。

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