野村沙知代 ── 愛されて、嫌われた人

あっぱれ、女の相続シリーズ — 昭和・平成を騒がせた、10人のあっぱれな女たち

相続というと、お金や手続きの話に聞こえるかもしれません。

でも、本気で生きた人の人生を眺めていると、相続の問題がふっと姿を現します。

騒がせ、笑わせ、ときに怖がらせた女たちの人生を、少し遠くからのぞいてみましょう。

1932年生まれ。出生名・伊東芳枝。
アメリカ人男性との間に二人の息子をもうけたのち、1978年にプロ野球の野村克也さんと再婚しました。
「サッチー」の愛称でテレビでも活躍しました。
2017年12月8日、85歳で亡くなりました。


テレビの中のサッチー

1999年の春から、ワイドショーをつけると、たいてい野村沙知代さんが映っていました。浅香光代さんとの「ミッチー・サッチー騒動」です。

画面の中のサッチーは、わがままで、お金に汚くて、高圧的に見えました。私もそう思いながら見ていた一人です。

誰かに批判されると、倍の強さで言い返す。引かない。そして、ときどき「ふふん」とでも言いたげな表情を浮かべる。

人から嫌われることなんて、少しも気にしていないように見えました。見ていて疲れるのに、なぜかチャンネルを変えられない。友達にはなりたくない。でも、あんなふうに生きられたら、と少し羨ましくもありました。

あれから四半世紀がたちました。相続の仕事をする税理士として、あらためてこの人の人生を眺めてみると、ワイドショーでは見えなかったものが少し見えてきます。

そんな女の人の話です。

霧の中の前半生

野村沙知代さんは、1932年、伊東芳枝として生まれました。「沙知代」は、のちに名乗るようになった名前です。

弟の伊東信義さんの著書によると、五人きょうだいのうち、長女の芳枝さんだけが本籍を福島県に置いていたそうです。理由は、弟さんにも分からないといいます。

終戦直後、進駐軍相手の商売をしながら、英語を独学で身につけたと伝えられています。1957年、アメリカ軍の将校だった男性との間に長男の団さんが生まれ、続いて次男のケニーさんが生まれました。

ただ、この前半生には、どこまで本当なのか分からないところがあります。

のちに夫となる野村克也さんは、沙知代さんの死後、テレビ番組の取材で、妻が語っていた経歴や家庭環境は「100%、全部ウソでした」と打ち明けました。そして、ウソをついてでも自分をつかまえたかったということだろう、と笑ってみせたのです。

経歴は、本人が語るものです。名前も、本人が名乗るものです。沙知代さんは、自分の物語を自分で書く人でした。

「女を取ります」

二人が出会ったのは1970年、東京・原宿の中華料理店でした。

南海ホークスの選手兼任監督だった克也さんが食事をしていると、店のおかみさんが、常連の女性を紹介してくれました。それが沙知代さんです。

沙知代さんは、目の前の男がプロ野球の大スターだとは知りませんでした。日焼けした顔で「雨が降ったら休まなければならない仕事」と言うのを聞いて、建設現場で働く人だと思ったそうです。

このとき、二人にはそれぞれ家庭がありました。やがて同棲が始まり、1973年には克則さんが生まれます。沙知代さんは監督夫人のようにふるまい、チームの人事にまで口を出すようになりました。

1977年、克也さんは「女性問題、公私混同」を理由に、南海の監督を解任されます。

野球を取るのか、女を取るのか。

そう詰め寄られた克也さんは、女を取ると答えました。仕事はいくらでもあるけれど、伊東沙知代という女は一人しかいないから、と。

仕事を失って気落ちする克也さんに、沙知代さんは言いました。「なんとかなるわよ」。

二人は、縁もゆかりもない東京へ移ります。そして本当に、なんとかなりました。

翌1978年、二人は正式に結婚しました。

夫婦喧嘩になると、沙知代さんはよくこう言ったそうです。

私は『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのように、玄関に大理石の柱が4本立つお屋敷で、執事やメイドにかしずかれて暮らすのが夢だった。まさかあなたのような人と一緒になるなんて。

克也さんの返事はこうでした。

そんな豪邸は日本じゃ無理だ。ホームセンターで棒を4本買ってきて、玄関に立てかけておけばいい。

騒がせ続けた後半生

克也さんがヤクルトの監督として結果を出すと、沙知代さんにもスポットが当たるようになりました。歯に衣着せぬ物言いで、テレビに引っ張りだこになります。

沙知代さんの口癖は、「あなたは牛若丸で、私は弁慶」。

いつも自分が夫の前に立ちはだかって、「矢でも、鉄砲でも持ってこい!」と守り通してきたのだ、というのです。人前で弱音を吐くことは、決してありませんでした。

1996年には衆院選に立候補し、克也さんも応援演説に立ちました。

このとき掲げた、アメリカのコロンビア大学に留学したという経歴が、のちに大きな騒ぎになります。1999年のミッチー・サッチー騒動のさなか、浅香光代さんが、学歴詐称だとして東京地検に刑事告発したのです。

そして2001年12月、沙知代さんは脱税の容疑で逮捕されました。

家を出る前、沙知代さんは夫に「あなたは何も知らなくていいの」と言っていたそうです。克也さんは、家のお金のことを一切、妻に任せていました。克也さんは阪神の監督を辞任します。

保釈されて帰ってきた沙知代さんは、まず夫に謝りました。

三十年以上一緒に暮らして、克也さんが妻から謝罪の言葉を聞いたのは、これが初めてだったといいます。

週刊誌は離婚を書き立て、このときばかりは息子たちまでが「お父さん、別れていいよ」と言ったそうです。

克也さんの答えは、そうしたらお母さんは一人になってしまう、支えてやれるのは自分たちしかいない、というものでした。

翌2002年、沙知代さんには有罪判決が出ましたが、二人は別れませんでした。

南海を去った1977年から24年。克也さんはもう一度、同じ人を選んだのです。

浅香光代さんの夫の世志凡太さんは、のちにこう話しています。サッチーがお金を貯め込んだのも、派手に着飾ったのも、全部「野村監督」のためだった、と。

だから許されるという話ではありません。ただ、わがままで、お金に汚く、高圧的に見えた人の内側に、一本の筋が通っていたのかもしれません。

がらんどうの人生

2017年12月8日、沙知代さんは虚血性心不全で亡くなりました。85歳でした。

その日の明け方、沙知代さんは夫に「手を握って」と言ったそうです。

付き合い始めてから50年近く、そんなことを言われたのは初めてでした。二人は、手をつないで歩いたことさえなかったといいます。

残された克也さんは、妻のいない日々を「がらんどうの人生」と書きました。

後悔はひとつ。生きているうちに、一度もちゃんと感謝を伝えなかったことだ、と。

妻が亡くなって1年あまりたったころ、克也さんは墓前でこんなふうに語っています。

沙知代からは、ありがとうを一言も言われなかった。自分も言わなかった。まさか先に逝くとは思わなかったから。「ありがとうを言うことは、終わりを告げるようなものだから」。

その2年余りのち、2020年2月11日、克也さんも亡くなりました。84歳。死因は、妻と同じ虚血性心不全でした。

あっぱれ

世間からあれほど嫌われても、サッチーはいつも堂々としているように見えました。あの「ふふん」という表情を、私は今も覚えています。

そして、いちばん近くにいた夫にとっては、いなくなると人生ががらんどうになるほどの存在でした。

克也さんだけが、本当の沙知代さんを知っていたのでしょうか。それとも、ワイドショーで見ていたあの姿も、やはり本当だったのでしょうか。

たぶん、どちらも本当です。

わがままで、高圧的で、何かと世間を騒がせた人。そして夫にとっては、唯一絶対の人。それが、ひとりの女の人の中に同居していました。

相続の仕事では、亡くなった人が何を残したかを、ひとつずつ数えていきます。

けれど克也さんが語ったのは、妻が何を残したかではなく、妻がいなくなって何が失われたかでした。

ありがとうは、どちらも最後まで言いませんでした。

克也さんにとって、それは終わりを告げるような言葉だったのでしょう。明け方の「手を握って」が、沙知代さんなりの感謝の言葉だったのかもしれません。

なんとも、あっぱれな女でした。


ここからは、税理士のワンポイント解説です。再婚家庭の相続人について、少しだけお話ししますね。

同じ家族でも、誰が亡くなったかで相続人は変わる

再婚した相手に連れ子がいるとき、その子は、結婚しただけでは法律上の子どもになりません。

親子になるには、養子縁組が必要です。養子縁組をすれば、養親の相続では、実の子と同じように相続人になります。

野村家では、団さんとケニーさんが克也さんと養子縁組をしていたと報じられています。

沙知代さんが亡くなったとき、相続人は夫の克也さんと、団さん・ケニーさん・克則さんの3人の息子でした。

団さんとケニーさんは沙知代さんの実の子なので、養子縁組とは関係なく相続人です。一方、克也さんと前妻との間の息子さんは、沙知代さんとは親子ではないので、相続人に入りません。

2年余りのち、克也さんが亡くなったときは、事情が変わります。

克則さんと、前妻との間の息子さんは実の子として、団さんとケニーさんは養子として、4人全員が相続人になります。

養子縁組をしていなければ、団さんとケニーさんは克也さんの相続人にはなりませんでした。

再婚家庭では、「家族」と「相続人」がずれやすいのです。

遺言があったのか、最終的に財産がどのように分けられたのかは、確認できていません。

経歴は、本人が語れば、それで通ることがあります。けれど相続人は、語るだけでは決まりません。法律上の親子関係は、戸籍に記録されます。

名前も経歴も自分で書き換えてきた沙知代さんの、連れ子だった団さんとケニーさんを、法律上も「野村の息子」にしたのは、養子縁組という一枚の届け出でした。


参考資料

ノムさん 沙知代さんの経歴は「全部ウソでした」(デイリースポーツ、2018年2月16日)
https://www.daily.co.jp/gossip/2018/02/16/0010991991.shtml

野村克也さん 沙知代さんへ貫いた40年愛(デイリースポーツ、2020年2月12日)
https://www.daily.co.jp/gossip/2020/02/12/0013109220.shtml

野村克也・沙知代「名将を支えた“最低の女房”」(2)(日刊ゲンダイ)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/375664

追悼・野村沙知代さん(日刊ゲンダイ)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/219347/2

野村克也と沙知代の出会い(文春オンライン)
https://bunshun.jp/articles/-/41320

夫婦喧嘩、ミッチー・サッチー騒動、沙知代の逮捕(文春オンライン)
https://bunshun.jp/articles/-/43446

飯田絵美「野村克也『花も嵐もサッチーと』」(文藝春秋PLUS、2023年6月23日)
https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h6466

ミッチー・サッチー騒動を振り返る(週刊女性PRIME)
https://www.jprime.jp/articles/print/16977

野村沙知代さん死去 浅香光代を名誉毀損で訴え(デイリースポーツ、2017年12月8日)
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/12/08/0010801361.shtml

野村克也さんがいま明かす「沙知代さんが亡くなった瞬間のこと」(現代ビジネス)
https://gendai.media/articles/-/64242

野村克也『ありがとうを言えなくて』連載第7回(現代ビジネス)
https://gendai.media/articles/-/128441

野村克也さんが「沙知代さんの墓前」で語っていたこと(現代ビジネス)
https://gendai.media/articles/-/70402

野村克也「野球を取るのか、女を取るのか」(プレジデントオンライン、『弱い男』より)
https://president.jp/articles/-/42839

野村克也さん一家、複雑な家族構成ゆえ相続も一筋縄ではいかない(マネーポストWEB)
https://www.moneypost.jp/689704/2/

本稿は、公開された報道内容を素材として、「仮に報じられている状況が成り立つとしたら、法律上どのような仕組みが動くのか」を解説するものです。個別事情やご家族の意図を推測・断定する目的ではありません。あくまで『人はなぜその決断をしたのか』を税務と心理の両面から考察し、皆様の将来に活かしていただくためのケーススタディです。