この夏の思い出 ーアトランティック・ジャイアントと私

秋分の日を明日に控え、いよいよ本格的な秋の到来です。過ごしやすい季節になってきました。ホッと一息ついて振り返ってみると、今年の夏はとにかく暑さがこたえた夏でした。

去年までは主に在宅で仕事をしていたので、日が昇る時間帯はひたすら家にこもって、日が落ちて暑さが和らいだらようやく外出するという夜行性の生活でした。なので、去年や一昨年の夏は暑かったかどうか思い出そうとしても記憶にないくらいです。

ところが、今年の春先に登戸に事務所を借りたのを機に、状況が一転。毎日通勤することになりました。春から初夏にかけては気候が穏やかなうえに周りの景色を眺めるのも新鮮で、るんるんと通っていたのですが、夏本番が近づくにつれ、自宅から駅まで歩くのが苦痛になってきました。

今の家に引っ越した当時は通勤がなく、駅までの距離よりも部屋の広さを優先したため、最寄り駅まで徒歩20分かかります。しかも、私が出かけるのはたいていお昼過ぎ。一日の中でいちばん暑い時間帯です。

日傘と保冷剤を握りしめ暑さに辟易しながら駅までの道のりを歩く日々の中、唯一心躍ったのが通りすがりの畑のカボチャを眺めることでした。

夏の大空の下、直径にして優に人の頭の倍はある巨大なカボチャが5つほど、ごろんごろんと転がっています。こんな大きなカボチャは見たことがありません。アトランティック・ジャイアントと呼ばれる種類だそうですが、その桁外れの大きさはどこかユーモラスです。日に日に巨大化するカボチャを観察するのが日課となり、『大きなかぶ』という有名なロシア民話を思い出しながら、カボチャの行末を思って密かにわくわくしたものです。

ところが、夏が去って秋が来ても収穫の気配がありません。どうやら畑の持ち主は放置を決め込んでいるようです。とうとう中には、破裂して中身がどろどろと地面に溶け出すカボチャもでてきました。猛暑を共に戦った同志といってはおおげさですが、秋にはハロウィンのランタンになるのではないか、芋煮会ならぬカボチャ煮会でふるまわれるのではないか、など輝かしい未来をあれこれ想像していただけにカボチャが不憫に思われ、切ない気持ちになりました。そんなわけで、せめてもの思い出として、巨大カボチャの姿をカメラに収めてみました。

さて、秋というと私の心にきまって浮かぶのが八木重吉の詩です。昭和初期に若くして病没したキリスト教詩人、八木重吉の作品はなぜか昔から私の心を捉えて離さないものばかり。特に「果物」と題された詩に愛着があります。ちょうどカボチャの話が出たので、果実つながりでご紹介しましょう。

果物

秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実のってゆくらしい

たった、これだけです。でも、口ずさむだけで別の世界に引き込まれるような傑作だと思うのです。「なにもかも忘れてしまって/うっとりと実のってゆく」。そんな境地がどこかにあるのかと思うとため息がでます。

記事をご覧の皆様も、お忙しい毎日とは思いますが、ぜひ1日の中で少しでも、秋の空気をゆったりと味わう時間を取ってみてください。