市民と行政をつなぐ行政書士の仕事

当事務所のサイトや名刺では「行政書士税理士事務所」という名称を使用しています。それを見た人から「税理士行政書士事務所じゃないんですね、めずらしいですね」と言われることがあります。

 

当事務所は行政書士事務所と税理士事務所を併設していますが、行政書士業がメインのため、行政書士を先に置いています。これは確かに一般的ではありません。税理士が行政書士を兼ねている場合、税理士業に付随して行政書士業を行っているケースがほとんどだと思います。

 

ちなみに私は公認会計士の登録資格も有していますが、こちらは登録すらしていません。会計士出身者が独立する場合、会計士と税理士の両方の資格を登録するのが一般的なので、その意味でも当事務所はレアなケースに当たります。

 

これは周囲の人には奇妙に映るようです。「なぜ行政書士にこだわるんですか」とよく聞かれます。行政書士という仕事を知ったとき、私は直感的に自分に合った仕事だと思いました。実際に業務を手がけるようになってからもその思いはますます強くなっています。

 

なぜそう思うのだろうと突き詰めて考えてみると、自分でもよくわからなかったのですが、最近一つの答えにたどり着きました。行政書士の代表的な役割に「市民と行政をつなぐ」ことがあります。そして、二つの異なる世界をつなぐ媒介者であることこそ、自分にとって居心地の良い社会的ポジションなのです。

 

私は大学を卒業後、大学院でかなり長く文化人類学の研究に携わっていました。その後、短い監査法人勤務を経て独立した後、最初に手がけたのは会計や税務に関する専門文書の翻訳です。翻訳の仕事は7年目となる現在でも続けています。去年からは行政書士の業務もスタートしました。文化人類学の研究、翻訳、そして行政書士業務-これらに共通するのは、二つの異なる世界をつなぐ行為であるということ。私はそれが好きで、表面上は違う活動に見えつつも、本質的には同じことを繰り返しているのだなぁと思います。

 

行政書士のルーツは江戸時代の「代書業」にまでさかのぼるそうです。識字率が低かった時代に本人に代わって書類や手紙等の代筆を行っていました。現在でも行政書士を指す表現として「代書屋」という言葉を聞くことがあります。それは時に親しみを込めて、時に侮蔑的に使われるようですが、私個人としては「代書」を業とすることに誇りを持っています。

 

現代日本の識字率は99%。字を読んだり書いたりするスキルは今では当たり前のものとなっており、昔ながらの「代書」の価値は失われています。しかし、パソコンやクラウドなどの新たな技術から取り残される人が出てきました。情報機器やネットワークを利用して集めた情報を自分の目的に沿った活用できる能力のことをITリテラシーと呼びますが、古典的なリテラシー(識字能力のこと)の欠如に代わってITリテラシーの欠如が問題となっています。また、将来的には、日本語を母語としない外国人の増加や高齢化に伴う認知症患者の増加により識字率が低下し、識字能力の欠如が再び社会的な問題となるかもしれません。さらにいうと、お役所というのは今も昔も独特な文化様式を持っています。それを理解し読み解く能力(これもリテラシーの一種です)がないと、自力で行政手続を進めるのは難しい場合があることに変わりはありません。

 

あるリテラシーを人が身に付けているか否かはその人が所属する文化に影響を受けます。特定のリテラシーを欠くからといって、文化的に劣るわけではなく、単なる文化の違いに過ぎません。しかし、とりわけ行政手続という場面では、リテラシーの欠如により不利益を被っている人たちが存在するのは確かです。現代における代書屋とは、自らのリテラシーを活用してそのような方々に代わって様々な手続を進める仕事ではないでしょうか。こう考えると「代書」の社会的意義は失われていないどころか、ますます高まっているのです。

 

行政書士は行政の文化と市民の文化をつなぐ橋渡し役である、ということもできるでしょう。もちろん現代社会において「市民」は決して一枚岩はありません。その中には様々な文化が包摂されています。市民の多様な文化を尊重しつつ、市民が不利益を被ることのないよう、行政と市民をつなぐこと。それこそ、行政書士として私がやりたいことです。